大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和45年(オ)1194号 判決

上告人 国

訴訟代理人 香川保一 外四名

被上告人 更正会社株式会社富士アイス 管財人瀬崎憲三郎訴訟承継人 株式会社富士アイス

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告指定代理人香川保一、同山田二郎、同萩原武、同久木元英秋、同末森英熊の上告理由について。

所論の点に関し原審の適法に確定した事実関係によれば、訴外東京証券土地株式会社は、他から割引により資金をうる目的で被上告会社から第一審判決添付目録第二の(一)ないし(五)の旧手形の振出、交付を受け、これを訴外辰美産業株式会社に割引を依頼して白地裏書により交付したが、辰美産業株式会社は、自ら割引をしないで、さらに右目録二の(一)、(二)の手形については白地裏書により、同(三)ないし(五)の手形については白地裏書をすることなく、これらを訴外株式会社森脇文庫に割引を依頼して交付したが、株式会社森脇文庫は、対価を交付しないでこれを所持したものであり、そして、第一審判決添付目録第一の(一)ないし(五)の本件手形は右旧手形の書替手形である、というのである。

右確定の事実関係のもとにおいては、右旧手形につき辰美産業株式会社と株式会社森脇文庫との間では単に手形割引の依頼があつたというに止まり、同手形上の債権はいまだ株式会社森脇文庫には移転していないものと解するのが相当である。してみれば、被上告会社は、株式会社森脇文庫に対し、右旧手形、したがつて、その書替手形である本件手形につきその支払を拒むことができるものというべく、国税徴収法五六条の差押により本件手形の取立権を取得した上告人に対しても、同様の理由で本件手形の支払を拒絶することができるものというべきである。

そうすると、その余の点につき判断を加えるまでもなく上告人の本訴請求は理由がないから失当であつて、これと同一結論に出た原判決は結局相当というべく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 岸上康夫 大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一)

上告指定代理人香川保一、同山田二郎、同萩原武、同久木元英秋、同末森英熊の上告理由

原判決には、法律の適用を誤りまた審理を尽していない違法があるから、破棄をまぬがれない。

第一手形法七七条、一七条の適用を誤つていることについて

一 原判決の確定している事実によると、「東京証券土地株式会社は他から割引により資金を得る目的で更生会社から白地裏書とともに旧手形の交付を受け、これを辰美産業株式会社に割引を依頼して(白地裏書のうえ)交付したが、同会社は自ら割引をせず、さらに第一審判決添付目録第二(一)(二)の手形については白地裏書により、同(三)(四)(五)の手形については白地裏書をすることなく、森脇文庫に割引を依頼して交付したが、森脇文庫は、対価を交付しないでこれを所持していたことが認められる。」(原判決の一八丁表)とし、そして「本件手形が、旧手形の書き換え手形であることは当事者間に争いがない。」(原判決の一一丁裏)というのである。

そこで、原判決は、右の事実をもとにして、「本件のように割引によつて資金を得る目的で振出交付され、順次割引依頼と白地裏書を伴いまたは伴わない交付とにより手形の所持が移転した場合には、割引の依頼を受けた者は、手形上の権利者たる地位を有するとはいえ、対価を交付しないかぎり、いずれの手形債務者からも、その手形金の支払を受くべき正当な利益を有しないから、対価不交付の人的抗弁は、直接割引を依頼したものばかりでなく、振出人も所持人に対し対抗しうるというべきであり、所持人である森脇文庫が振出人に対して旧手形の支払を求めるのは、正当な権利行使とは認められず権利の濫用であつて許されない。したがつて、旧手形の振出人である更生会社は、森脇文庫に対し旧手形とその書き換え手形である本件手形につき、対価不交付を主張してその支払を拒み得る筋合である。」(原判決の一八丁裏以下)と判示している。

二 本件の問題は、要するに、手形当事者間の原因関係に由来する抗弁について、これを他の手形債務者がどの範囲まで主張して支払を拒否できるかという問題に帰着する。

最高裁判所大法廷昭和四三年一二月二五日判決(民集二二巻三五四八頁)は、「自己の債権の支払確保のため約束手形の裏書を受けた手形所持人は、その後右債権の完済を受けて裏書の原因関係が消滅したときは、特別の事情のないかぎり、以後右手形を保持すべき正当な権限を有しないことになり、手形上の権利を行使すべき実質的理由を失つたものであつて、右手形を返還しないで自己が所持するのを奇貨として、自己の形式的権利を利用し振出人に対し手形金を請求するのは、権利の濫用にあたり、振出人は、右所持人に対し手形金の支払を拒むことができる」と判示しているが、右判決の趣旨とするところは、要するに、手形債権がその原因関係と切り離して考えられるべきものであること(手形の無因性)を肯定しながらも、原因関係が消滅(ことに、債務の完済による消滅)すれば手形を保持すべき権限がなくなり、手形上の権利を行使すべき実質的理由がなくなるのであつて、このような場合に、手形上の権利を行使することは権利の濫用として許されないとしているのである。すなわち、手形当事者間で原因関係が消滅し、従つて返還すべくその所持の権限を有しない手形(いわゆる「手残り手形」)は、手形上の権利を行使すべき実質的理由がなくなつているのであつて、かかる手形をたまたま所持していても、その行使は、他の手形債務者に対してもすべて許容すべきでないとするものである。従つて、かかる法理によつて律せられるべき場合とは、要するに原因関係が消滅し手形を返還しなければならず、その所持の権限がなくなつた場合であつて、手形の所持人が手形上の権利を行使し、支払を受けても結局その利得が不当利得となつてしまうような場合に限られるべきである。

三 ところで、手形の割引に際し手形の割引金が交付されていない場合は、右「手残り手形」とは全く性質を異にするのであり、「手残り手形」の法理をそのまま手形の割引金の不交付の場合に適用すべきではない。

すなわち、手形割引の当事者のあいだで割引金が不交付であるからといつて、それだけでは、割引当事者間において債務不履行の法律関係が生じているだけにすぎない。それに、手形割引は手形権利の売買そのものと解されており、手形の交付後は手形の原因関係上の権利義務は残らないのであるから(同旨、大阪高裁昭和三七年二月二八日判決・高裁民集一五巻三〇九頁、東京高裁昭和三八年五月二二日判決一四巻九八六頁等)、手形の割引契約が解除されないかぎり、割引人(手形所持人)は、手形を返還すべき義務を負うものではなく、手形を正当に所持する権限があることはいうまでもないし、手形上の権利を行使する実質的理由は、他方の割引金交付によつて何ら影響を受けず、依然として存するものというべきである。(手形割引を手形貸付即ち手形を担保とする消費貸借と解しても、手形貸付契約が解除されていないかぎり、手形を返還すべき義務の生じないことである)。手形の割引金が不交付であつても、その交付すべき債務が存在していることはいうまでもなく、その債務の不履行を理由として手形割引契約が解除され、手形を返還すべき義務が発生するまでは、当該手形が「手残り手形」になるものではなく、割引人(所持人)の手形上の権利行使としての手形金請求は、形式的にもまた実質的にも正当なものというべきである(同旨、河本一郎「手形抗弁」手形小切手法講座第三巻二〇一頁以下)。

前記の最高裁判決は、前叙のとおり、裏書人と被裏書人との間の裏書の原因開係が消滅した後に、被裏書人が振出人から支払を受けることは、実質的理由を失なつているもので、不当利得になるという考え方に立ち、原因関係の消滅後の手形金請求を権利の濫用としているのであるが(特に、右最高裁判決の大隅裁判官の補足意見・民集二二巻三五五四頁参照)手形割引に際し裏書人と被裏書人との間で手形の割引金が不交付の場合には、当該手形の振出人に対する手形金請求が不当利得とならないばかりか、被裏書人が振出入から手形の支払いを受けて、その金員を手形割引の支払いにあてることすら何ら不当なことではない。

いわんや、権利の濫用という一般条項の適用は、慎重であるべきはもちろんであつて、不当利得の成立する余地すらない本件について、一般条項を安易に適用することは許されないというべきである。

四 原判決の確定した事実によると、前叙のとおり、「東京証券土地は本件手形につき辰美産業を介して森脇文庫に割引を依頼した手形を交付したが、森脇文庫は対価を交付しないでこれを所持していた」というのであり、右割引契約の解除されていない事実が明らかにされている。

手形割引契約が解除されていないのに、割引金が不交付であるということで、原判決が「手残り手形」に関する最高裁判決の法理を本件にそのまま適用し、上告人の手形金請求を排斥しているのは、手形法七七条、一七条(人的抗弁の制限)の規定の適用を明らかに誤つているものである。

この点において、原判決は破棄をまぬがれないものである。

第二審理不尽(民訴法一二七条違反)について

一 原判決は、上告人の更生債権(手形金債権)について、その権利の行使は権利の濫用であると判断を下されている。

しかし、第一審および原審を通じて、争点及び審理の対象は、訴訟記録に照して明らかなように、終始、本件手形の振出人(更生会社)の手形振出が商法二六五条(取締役会社間の取引)に違反しているのかどうか、違反している場合の法律効果、また、右手形振出が商法二六五条に違反しているということについて、森脇文庫(手形所持人)及び上告人(手形差押債権者)が悪意であつたかどうか、以上の三点をめぐつて展開されているのであり、就中、商法二六五条の解釈について、最高裁大法廷昭和四三年一二月二五日判決(民集二二巻三五一一頁)及び同一小廷昭和四五年四月二三日判決(判例時報五九二号八八頁等)により、同条に違反する取締役会の承認を受けていない取引も絶対無効なものではなく、無権代理行為と同じ効果のものであり、当該会社においてその取引について取締役会の承認を受けていないことのほか、相手方の悪意を主張立証しなければその無効を主張できないことが解明され、第一審判決の法律解釈の間違つていたことが明らかになつたので、原審では、これらの最高裁判決を契機として、本件手形の振出につき更生会社の取締役会の承認のないことについて、手形所持人たる森脇文庫が悪意であつたかどうかに審理が集中したのであり、併せて、最高裁二小廷昭和四四年一一月一四日判決(民集二三巻二〇二三頁)により、国税滞納処分として手形が差し押えられた場合に、国は裏書または白地式裏書における引渡によつて手形を取得するものではないから、もとより手形法一七条により人的抗弁の制度による保護を受けることはないが、民法の一般原則による程度の保護、つまり民法九四条二項の類推による保護を受けるものであり、国が手形の差押当時において自己の善意の主張立証を尽した場合には、手形の被差押人(手形所持人)の悪意にかかわらず、手形債務者の責任を追及できることが明らかとなつたので、この点について審理を求めていたのである。

二 ところが、原審は、以上のとおり、(1)商法二六五条の違反の法律効果、(2)商法二六五条に違反する事実に関する森脇文庫及び上告人の知情、これらの点だけについて、主張及び立証が展開され、審理が集中していたにもかかわらず、判決では、当事者の全く予期に反し、上告人の本件の手形金債権の権利行使が権利の濫用であるという理由で、上告人の主張を十分に尽させないまま、これを排斥されてしまつているのである。

これは、明らかに、釈明権を行使しないまま審理を尽さずに判決がなされているものというべきである。

原判決は、この点からいつて破棄をまぬがれないものということができる。

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